※ 画像はイメージです。
1981年、「もう二度と見られなくなる」という焦りに背中を押されて、閉館間近の日本劇場へ足を運びました。
若かった私には、日劇がどれほどの存在だったか、よくわかっていませんでした。
それでも、何か大きなものが静かに幕を閉じようとしている――その気配だけは、肌で感じていたのです。
そしてあの日、私は二つの熱気に出会うことになりました。
舞台の上で光り輝く、日劇ダンシングチーム (NDT) の女性たちの熱気。
そして劇場の外で思いがけず出会った、スターをじっと待ち続ける宝塚ファンの、静かで濃密な熱気です。
- 【筆者:やまべちかこ】
人材育成コンサルタント・カウンセラー。
職場の課題から家庭の人間関係まで、長年にわたり多くの方の悩みに向き合ってきたシニアです。詳細はクリックしてください。 - 筆者自身の経験として、経済的に苦しかった時期や、地方での暮らし、ステップファミリーでの家族再構築、介護などを通して、「人生をどう整え直していくか」を考え続けてきました。
女性ネットワークの立ち上げと運営、地方のテレビやラジオ出演などを通じて、さまざまな立場の方の声も聞いてきました。
本ブログ「私のストーリー」では、人生の途中で見つけた気づきや、遠回りの中で拾った小さな希望を綴っています。
まばゆい衣装と……ほぼ裸、に見える女性たち
舞台が幕を開けた瞬間、まず衣装に目を奪われました。
きらびやかな羽根飾り、光をまとったかのように見える色とりどりのスパンコール。
まばゆい照明を受けて、舞台の上の女性たちが輝いています。
でも――正直に言います。
若い私の目には、ほとんど裸に見えた人が何人も。
股間に蝶だけ。
スパンコールに羽根飾りだけ。
そんな姿もありました。
場違いなところへ来てしまったのではないか。
そんな気持ちがじわりと込み上げてきました。
もちろん、本当に裸なわけではありません。
肌色のボディスーツやスパンコール、ビーズが巧みに重ねられているのです。
フィギュアスケートやソシアルダンスで、今ではそう珍しいことでもない姿でしょう。
けれど当時は、客席からは、本当に大胆に見えました。
地方育ちの私には、それまで生きてきた世界とはまるで別の景色でした。
日劇レビューの華やかな舞台に魅了された
ところが、その戸惑いは長く続きませんでした。
気づけば、衣装のことなど、どうでもよくなっていたのです。
ダンスの迫力に、息をのんで。
フォーメーションの美しさに、目を見張って。
照明が変わるたびに、舞台が別の顔を見せてくる。
そして何より——舞台に立つ女性たちの、あの眼差し。
ただ美しいのではありません。
鍛え抜かれた技術と、自分の仕事への揺るぎない誇りが、客席にいる私にまで届いてくるようでした。
何百人もの視線を、真正面から受け止めている。
その美しさには、迫力がありました。
すっかり引き込まれていた私は、いつの間にか前のめりになっていました。
閉館直前の日本劇場(日劇)へ
そもそも私がこの日、日劇に足を運んだのは、閉館が決まっていたからです。
日本劇場、通称「日劇」。
東京・有楽町に1933年に開館し、映画、レビューショー、歌謡ショーと、長年にわたって日本のエンターテインメントを牽引してきた大劇場です。
「日劇ダンシングチーム」の名は、戦後の日本に華やかな夢を運びました。
その日劇が、1981年2月15日に閉館する。
「今行かなければ、もう二度と見られない」――その一念で、私はここへ来たのです。
歴史を深く知っていたわけではありません。
それでも、確かに感じていました。
あの日の空気の中に、時代の終わりの匂いが漂っていたことを。
出口を間違えて宝塚ファンの出待ちへ
ショーが終わりに近づく頃、混雑を避けようと少し早めに席を立ちました。
ところが、館内で迷ってしまったんです。
今ならスマホですぐ解決するのでしょうが、当時そんなものはありません。
案内表示を頼りに歩いているうちに、自分がどこにいるのかわからなくなって。
気づけば見知らぬ通路。
重い扉を押して、外へ出た――その瞬間、思わず息をのみました。
そこに、人がいたのです。
びっしり、何百人も。
しかも全員が、その一瞬でこちらを見たのです。
静かなのに、熱い。不思議な空気の中を、私は歩いた
誰もが一斉にこちらを見て、同じ期待を投げかけてきました。
熱気があるのに、乱れていない。
その不思議な統率感は、圧倒されるものがありました。
そこへ、扉を押して出てきたのが——私でした。
小さなどよめきが広がりました。
次の瞬間、なんとも言えない拍子抜けの空気。
私は申し訳ない気持ちと恥ずかしさを抱えながら、その間をそっと通り抜けました。
あれは、宝塚スターを待つファンたちだった
当時の私には、何が起きたのかよくわかっていませんでした。
ただ、何百人もの視線に包まれながら歩いたあの感覚だけは、今も鮮明に残っています。
後になってわかりました。
当時の日劇では、宝塚歌劇の公演も行われていたのだと。
そして公演後には、スターの出口で待つ「出待ち」という文化があったのだと。
私が押した重い扉は、きっとスターの出入り口だったのでしょう。
ファンたちは、大好きなスターが姿を現すその瞬間を、息を潜めて待っていた。
——そこへ、私が出てきたのです。
どよめきが起きたのも、無理はありません。
今思えば本当に申し訳なく、でも少しおかしくもあって。
昭和が放っていた輝きの一つ
舞台の上には、ダンサーたちの輝きがありました。
舞台の外には、スターの輝きをひたむきに愛するファンたちの情熱がありました。
私は偶然に、その両方の熱気の中に、迷い込んでいたのです。
今思えば、かなり珍しい体験だったと思います。
レビューショーの華やかさに圧倒された直後に、今度はスターを待つファンの熱気に包まれる。
そんな体験は、後にも先にもあの日だけでした。
あの日の日劇は、単なる劇場ではありませんでした。
昭和という時代が最後に放っていた大きな光のようなものを、私はたまたま見ていたのかもしれません。
一口メモ
・日劇ダンシングチーム(NDT)は1936年結成。
・定期公演は1977年に終了。
・ただし、日劇ダンシングチームの華麗なレビューは、1981年が見納めとされています。
・ダンシングチームは、日劇閉館の1981年2月15日まで活動し、最後の「サヨナラ公演」でも華麗なレビューが上演されました。
昭和は、未来が輝いて見える時代でしたね。
そんな時代の空気を綴っています。
子どもの頃、そして若い頃、未来は「きっと良くなるもの」だと、疑いなく信じていた気がします。特に昭和は、今よりずっと不便だったはずなのに、不思議と空気は明るかったですね。 あの頃の大人たちは、未来の話を真剣に[…]