「私はちゃんとあなたを見ている。あなたのことは、私がちゃんとわかっている」
母の日になると、義母のこの言葉を思い出します。
小柄で、愛らしい顔立ちの人でした。
けれどその奥には、時代をくぐり抜けてきた人だけが持つ、静かな強さと聡明さが宿っていました。
義母がこの言葉をくれたのは、私が再婚して数年経った頃のことです。
新しい家族として歩み出してはいたものの、私には、まだ誰にも言えない苦しさがありました。
そんな中で義母だけは、後妻という立場や周囲の評判ではなく、私をひとりの人間として見てくれました。
母の日に思い出すのは、「おかあさん」の、静かな愛情のことです。
再婚した私と、新しい家族のこと
私は夫の後添えです。
夫には三人の娘がいて、私には一人息子がいました。
知り合ったときには、既にお互い独り身でした。不倫などではありません。
それぞれに苦労を抱えながら出会い、これからは支え合って生きていこうと、私たちは結婚しました。
当時、夫は地方議員でした。
人生の途中で、ようやく見つけた温かな居場所。
そう信じていました。
けれど、家族の形が変わるとき、世間はそう簡単には受け入れてくれないものです。
再婚であること。
後添えであること。
公の立場にいる家庭であること。
それだけで、言葉にならない視線が生まれました。
表立って何か言われなくても、好奇心や批判の気配は、痛いほど伝わってくるものでした。
まだ何もしていないうちから、私は誰かの物語の悪役に置かれていたのかもしれません。
向けられた噂と、子どもへの影響
私に向けられた噂は、日増しに広がっていきました。
亡くなった前妻の物を勝手に処分しているのではないか。
娘たちに厳しくしているのではないか。
家をのっとるつもりではないか。
どこから始まったのかもわからない話が、気づけば根を張っていく。
否定しても、消えません。
反応すれば、むしろ大きくなる。
私自身がつらかったのはもちろんでした。
けれど、もっと苦しかったのは、その空気が息子にまで及んだことです。
再婚は、ちょうど息子の中学進学の時期と重なりました。
昨日まで小学生だった子が、転居した見知らぬ土地で、心ない言葉に触れることもありました。
大人の感情が、何の関係もない子どもへと流れていく。
母として、それが何よりつらかった。
中には、娘たちに私を見張るよう助言する人までいました。
新しい家庭のために懸命に努めながら、それでも越えられない壁が、この世にはあるのだと知りました。
悲しみが、別の場所へ向かうとき
夫の前妻は、突然の事故でこの世を去りました。
受け止めきれない悲しみが、やがて行き場のない怒りへと変わっていく――そのことは、今なら理解できます。
本来そこにいるはずだった人はもういない。
その場所に、私がいる。
ただそれだけで、私の存在が受け入れがたいものに映ったとしても、無理のないことだったのかもしれません。
前妻と親しかった人たちから向けられた言葉は、容赦のないものでした。
当時の私にはその言葉の意味が飲み込めず、ただ、その激しさに、体の中までザクザクとえぐられるような痛みを感じていました。
見えない刃物のようでした。
義母だけは、私を一人の人として見てくれた
そんな中で、義母は、そっと暮らしを共にしてくれました。
後添えだから。血がつながっていないから。
そんな素振りは、どこにもありませんでした。
慣れない土地で戸惑う私に寄り添い、日々の様子をそっと見守りながら、ただ時間を重ねてくれた。
義母は、少女期に戦争をくぐり抜け、社会に出てからは仕事ぶりを認められた人でした。
多くを語らなくても、いつも配慮が先にある。そういう人でした。
息子のことも、分け隔てなく接してくれました。
行事の席でも、普段の食卓でも、自然にそこにいる孫として迎えてくれた。
その自然さに、私は何度も救われました。
家族とは、形だけで決まるものではない。
受け入れようとする心があってこそ、少しずつ家族になっていく。
義母の姿が、私にそれを教えてくれました。
義母のひと言に、救われた日
義母は、多くを語らない人でした。
小柄で控えめ。前へ出るでもなく、どこにいても場にしずかに溶け込んでいる。
家族のことも、地域のことも、声高に語らず、ただよく見ている――そんな人でした。
ある日、義母が私に言ったのです。
「私はちゃんとあなたを見ている。あなたのことは、私がちゃんとわかっている」
その瞬間、胸の奥で張りつめていたものが、ふっとほどけました。
あの頃の私には、説明したいことがたくさんありました。
誤解と好奇の視線の中に、ずっと立ち続けていたからです。
小さな田舎町でのこと。
義母は、「息子の後妻」への世間の風当たりがどれほどのものか、よく知っていたのです。
その渦の中に、自分も立たされていたはずです。
そういう日々の中で、私のことを「見ている」「わかっている」と言ってくれた人がいた。
それがどれほど、ありがたかったことでしょう。
人は、励ましの言葉で救われることもあります。
けれど本当に苦しいとき、心をそっと支えるのは、言葉よりも、ただそこにいてくれる人の存在なのかもしれません。
義母のひと言は、沈みかけていた私の心を、静かに包んでくれました。
母の日に思い出す、義母への感謝
もちろん夫も、並大抵ではない重圧の中で、私たちを守ろうとしてくれていました。
どれほど見せまいとしても、その苦しさは隠しきれずに伝わってくるものでした。
けれど、夫がかばえば、また別の噂になる。
黙っていても、誤解される。
そんなことが繰り返される日々の中で、義母の静かな存在は、どれほど大きな支えだったことでしょう。
私の実家は遠く、すぐに頼れる場所ではありませんでした。
母は認知症、父は大病を繰り返し、高齢の祖母もおり、足の不自由な叔母もいました。
それぞれに支えを必要としている高齢の四人家族だったのです。
でも、私には、実家を訪ねる気力さえ、残っていませんでした。
そんな孤独の中で、義母は声高に味方を宣言するわけでもなく、誰かを責めるわけでもなく、ただ私を見て、信じ続けてくれました。
義母も高齢になって認知症を患いました。
その頃には、医療や福祉の場で、私たちは実の母娘だと思われるほどになっていました。
ただ見ていてくれた。
ただ信じていてくれた。
その積み重ねが、いつしか本当の親子のような時間を育てていたのかもしれません。
母の日に思い出すのは、そっと寄り添い、私を支えてくれた義母のことです。
言葉にしきれない感謝は、今も静かに、胸の奥にあります。
夫との縁は、今でも不思議です。お互いに同じ第一印象を持ったことが後になってわかりました。
よろしかったら、こちらもお付き合いください。
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