気づけば最近、「減らす暮らし」という言葉を、あちこちで見るようになりました。
持ち物を減らす。人間関係を減らす。予定を減らす。情報を減らす。
抱え込みすぎたものを手放すと、スーッと気持ちが軽くなる――その感覚は、私にもよくわかります。
でも。
本当は、別の感覚もあるんです。
会いたい人。見たい景色。やってみたいこと。
そういうものが、なぜか少しずつ、増えてきました。
とうに人生後半過ぎてるのに――。
いえ、終わりが見えてきたからこそ、なのかもしれません。
減らすことが悪いわけではないけれど。
ただ、減らすことだけが、人生の正解でもない気がしてます。
今日は、そんなお話を。
筆者やまべちかこについて
人材教育コンサルタント・産業カウンセラーとして、また女性ネットワークの運営者として、多くの方の仕事・家庭・人間関係の悩みに向き合ってきました。
介護、再婚家庭、地方での暮らしなど、自身の経験も重ねながら、「人生をどう整えていくか」を試行錯誤してきたシニアです。
本ブログ「私のストーリー」では、人生の途中で見つけた気づきや、遠回りの中で拾った小さな希望を綴っています。
減らすことが、正しいの?
身軽に生きることへの憧れ
若い頃は、増やすことで精一杯でした。
仕事も、人間関係も、役割も、責任も。
何かを積み上げれば人生が豊かになる――そう信じていたものです。
でも、ある年齢を過ぎたころから、空気が変わりました。
減らすこと、手放すこと、執着しないこと。
それが、成熟した生き方のように語られるようになったのです。
実際、抱えすぎた荷物を下ろすことは、とても大切なこと。
無理をしてきた人ほど、「減らす暮らし」に救われることもありますね。
静かな部屋。少ない持ち物。予定を詰め込まない日々。
それは確かに、乱れた心を整えてくれます。
人生後半は「縮小」が当たり前の空気だった
年齢を重ねた人に対して、「もう十分でしょう」という空気が世の中にはありますね。
新しいことは若い人に任せて。
欲張らずに、無理をせずに、小さく静かに穏やかに。
それもひとつの美しさだと思います。
でも私には、どこか腑に落ちないところがある。
人生後半は縮小していくのが自然――その空気が、世の中の正解みたいに流れていくようで。
本当はまだ、心は動いているのに。
むしろ、動くものが増えているのに。
むしろ、心が動くものは増えていい
まだまだ会いたい人がいる
私が30代のころ、異業種の女性たちが集まるグループを立ち上げました。
きっかけはシンプルで、「この人と話したい」「この人とこの人、会わせてみたい」――ただそれだけで十分でした。
肩書きも年齢もバラバラな人たちが集まると、不思議なことが起きるんです。
1足す1が、2にならない。
もっと思いがけない何かになる。
あの場で何度も見てきた、「会いたい」という気持ちだけが起こす化学反応でした。
その感覚が今また、ぬくもりと共に胸の中にあるのを感じます。
いろいろなものを手放してきた中で、本当に求めているものが見えてきたのかもしれません。
生きてきた時間は、ただ積み重なるだけじゃなく、蒸発して、分離して、沈殿して――心の奥深くには、そうして残ったものがあるのです。
その中に、「会いたい人」への思いがありました。
昔お世話になった人。
もう長く会っていない友人。
一度ゆっくり話してみたい人。
――そうそう、シニアになって始めたX。
文字だけのやり取りなのに、それでも「会ってみたい」人はいるんです。
同じ時間をすごしてみたい。
そう思える相手がいること自体が、ありがたいことのように感じます。
見たい景色がまだある
五百円でも浮いたら、自分のためではなく、家族の好物を買って帰りたかった。
老親の介護をしていた頃も、シングルマザーだった頃も、自分が見たい景色を考える余裕なんて、正直なかった。
だからなのか、今は逆に、見たい景色が増えました。
六月の花畑。
朝霧の湖。
新緑の山道。
知らない町の小さな喫茶店。
以前より遠くへ行く体力は落ちたかもしれません。
それでも「見てみたい」と思えること自体が、なんだか心を弾ませます。
できることは減っても、感じたいものは増えていく。
これは衰えではなく、長い時間をかけて、ようやく自分に戻ってきた感受性なのかもしれません。
「今さら」なのに、やってみたいことが増えてきた
今さら始めてどうするの。
今さら遅いでしょう。
そんな声は、たぶん自分の中にもあります。
でも、それでも、やってみたいことがあるんです。
思えば、自分が傷つきやすかったからこそ、人に優しくすることは心がけてきました。
でも途中で気づいたんです。
本当に優しくするには、自分が強くなければいけない、と。
その「強さ」を、私は今もまだ、めざしています。
今さら、と言われても。
それが正直なところです。
知らなかったことを知りたい。
もう少し、表現してみたい。
もう少し、誰かと繋がってみたい。
人生後半になると、「諦めること」が上手になる人もいます。
でも私は、自分に正直でいたい。
まだ感じて味わいたい。
まだ驚きに近づいていきたい。
その感覚のほうが、強いのです。
人生後半は、”増やす勇気”もあっていい
欲ではなく、情熱なのかもしれない
増やせばいい、という話をするつもりはないんです。
物を増やしすぎれば手間がかかるし、予定を詰め込みすぎれば疲れてしまう。
減らすことの大切さは、体力的にも充分わかっているつもりです。
それでも。
会いたい人が増える。
見たい景色が増える。
やってみたいことが増える。
それは、欲というより、情熱だと思うんです。
まだ世界に反応している。
まだ何かに心が動いている。
それは、生きることそのものじゃないかと、思っています。
心が動くうちは、人はまだ前を向いている
「もう遅い」という言葉に、人生後半は何度も出会います。
でも私、ずっと、こう思ってきました。
遅いかどうかを気にするのは、人並みの結果を求めるから。
本当に大事なのは――心が動くかどうか。
自分が前に進んでいる感覚があるかどうか。
そっちなのかもしれないって。
何歳でも、何度失敗しても。
「見たい」「会いたい」「やってみたい」と思えるものがあるうちは、人は、ちゃんと生きている。
前を向いているんだと思います。
だから私は、減らしたいとは思えない。
人生の終わりに向かう途中だからこそ、まだ増やしたいものがあってもいい。
そんなふうに思っています。
だって、年齢を重ねるほど、不思議と「終わり」だけではなく、「続いていくもの」の感覚も強くなるんです。
思い出も、ご縁も、誰かを想う気持ちも。
子どもの頃、身近な人の死は、暮らしの中にありました。
そして残された家族が、故人に語りかけ、祈る姿も、ごく日常の風景でした。
魂は続く――それは私にとって、学んだことではなく、暮らしの中にあった世界観です。
だから「めいどの土産話」、たくさん用意しておかなきゃって。
先に逝った父母や、友人、親しかった仕事仲間に――「あれから、こうだったよ」「世の中、こうなったよ」って。
なんだか、子どもが親に駆け寄るみたいに。
「見てみて、アタシ、こんなのできたよ」って。
先に逝った人たちが、面白がって笑ってくれる気がするんです。
「よく頑張ったね」「そりゃあ、楽しかっただろう」って。
そんなことを考えていたら、やだやだ、涙がこぼれてきました。
心が動くもの。
会いたい人。
見たい景色。
やってみたいこと。減らすのがどんなに流行っても
こっちはまだまだ増やしてもいい。#心の深呼吸 #シアワセの素 pic.twitter.com/PNpFUawjPs— 山辺千賀子/やまべちかこ (@white7pearl) May 6, 2026
あの世のことも、ちょっと気になるお年頃なら――。
「亡くなった友人から伝言を託された」そんな、私の夢の話にも、どうぞおつきあいください。
この世では突然の死であっても、魂としては救いの道だったのであれば、死を悲しむより、むしろ喜んであの世に声援を送るべきなの…