認知症を患った人にとって、日常は「不安」や「絶望」と隣り合わせです。
介護を担う家族にとっても、その姿を受け止めながら寄り添うことは簡単ではありません。
私自身、五人の家族を見送りました。
母、父、祖母、叔母、そして義母――いずれも最期は認知症を患いました。
歩んだ道のりはそれぞれ違っていても、介護の日々を通じて強く感じたのは「真実よりも、その瞬間の安心こそが大切」だということでした。
この記事は、私の体験談です。
どなたかの心に少しでも寄り添うことができたらと願って、綴ってみました。
認知症の人が見ている世界
私の家族5人はいずれも最期は認知症を患いました。
母は二十年近く認知症で苦しみました。
父はがんや難病との闘病の末、最後は、認知症に。
九十を超えて大往生した祖母も、様々な理由で入退院を繰り返し、最期は認知症。
生まれつき足が不自由だった叔母(父の妹)は、生涯のほとんどを実家で過ごし(私の実家でもあります)、晩年に認知症を発症しました。
そして夫の母、義母は、発症からほどなくして旅立っていきました。
認知症の家族をみてきて改めて思うのは、それは単に脳が壊れただけではないということです。脳がうまく機能せず、魂までもが苦しんでいたのかもしれません。… pic.twitter.com/ElSl9Q2Wst
— 山辺千賀子/やまべちかこ (@white7pearl) April 3, 2025
認知症が進んだ家族たちは、私たちと同じ部屋にいながら、別の世界に生きているようでした。
そこには不安と絶望が渦巻き、時に過去のつらい記憶に閉じ込められ、恐怖から抜け出せない姿もありました。
そうかと思えば、突然、思い出の遠い日にいるかのようにふるまったり、あるいは又、別の世界の住人のように、熱心に何かをしていることもありました。
認知症の母と感じた魂の共鳴
母が怯えているときには、その理由が察せられました。
生まれつき体が不自由だった父の妹に、繰り返しいじめられていた場面がよみがえり、何度も苦しんでいたのです。
昭和世代のことですから、「嫁」は小姑のいじめの対象になりやすかったのでしょう。
父にとっては妹、母にとっては小姑、私にとっては叔母の彼女は、攻撃的な気性で、その生涯のほとんどを自宅で過ごしました。
つまり、私の子ども時代は、三世帯同居だったのです。
叔母は、足が不自由なことをまるで武器のようにして、兄嫁である私の母に、繰り返し言葉の暴力をふるっていました。
そのことを私は十分に知っていたので、私は母が、脳内で見ているであろう場面が手に取るようにわかったのです。
ですからその場面を想像し、一緒にその世界を過ごすようにしました。
「大丈夫だよ、私がいるから。さ、こっちに行こう」
などと声をかけると、不思議と母の表情が和らぐことが少なくありませんでした。
スピリチュアルな言葉を借りれば、それは「魂と魂の共鳴」だったのでしょう。
現実を超えた心の触れ合いが確かにある――そう実感しました。
苦しみの中にあった学び
介護の年月は、数えきれない苦しみを負うことでもありました。
介護は心身をすり減らし、家族の関係を揺さぶります。
認知症やガン、生まれつき脚が不自由…。実家の4人がすべて高齢となり、大変な時を過ごしたことがあります。泣くに泣けない状況でしたが「苦しみを深く見つめてみよう」と決意したことが、私にとって大きな学びになりました。… pic.twitter.com/tvkXdpIeqh
— 山辺千賀子/やまべちかこ (@white7pearl) March 8, 2025
絶望のただ中で、それでも「逃げずに向き合おう」と決意できたことが、今思えば自分を支えてくれたのだと思います。
心理学では、人は強いストレスに直面すると「意味づけ」を探し、心の均衡を保とうとする傾向があるとされます。
まさにその力に、私は救われていました。
あるとき私は、尊敬する方に涙ながらに愚痴をこぼし、こんな言葉をいただいたのです。
「貴重な人間研究をしているのだと思って頑張りましょう」
人材教育を仕事にしていた私にとって、その一言は大きな転機でした。
「人はどんなときに、どんな気持ちになり、どんな行動を取るのか――しっかり学んでみよう」
そう思った瞬間から、どんな体験も無駄ではないと信じられるようになったのです。
現実がどれほど苦しくても、自分なりの意味を見つけることで、不思議と歩き続ける力が湧いてきたのです。
介護を通じて感じたこと
きちんとした現実のコミュニケーションが取れなくなる中で、それでも、「魔法」と呼びたくなるような瞬間はいくつもありました。
母が安心した顔で眠りについたとき。
父の優しさが言葉を超えて伝わってきたとき。
祖母が、私の息子を、若き日の自分の子のように愛情いっぱいで抱きしめてくれたとき。
かたくなに見えた叔母の心の奥に、少女のような柔らかさを感じたとき――
義母とも不思議とうまが合い、医療や福祉の関係者から「実の娘さんだと思っていました」と言われるほどでした。
少女のように歌を口ずんだり、今ここに、戦死した兄がいるかのように話していた姿も忘れられません。
認知症を患う人は、突然「今ここ」から離れ、別の世界に飛んでしまうことがあります。
そのとき、事実をいくら説明しても意味がありませんでした。
むしろ混乱が深まり、本人をさらに絶望へと追い込んでしまうことを、私は体験的に学んでいったように思います。
「真実よりも、その瞬間の心を軽くすること」
私と家族にとっては、これこそが一番大切だったと思います。
「そうだね、もうすぐご飯の時間だね」と思いを合わせ、一瞬でも安らぎを取り戻せるなら、それは何より価値のある時間でした。
結びに|認知症患者が抱える不安と絶望
五人の家族は今、みなあの世の住人です。
思い起こせば、「介護とは魂どうしの対話」だったかもしれません。
不安と絶望に覆われた世界の中で、ほんの一瞬でも安心を届けられた時間は、本人にとっても、私にとっても、かけがえのない宝物でした。
介護は孤独になりやすい道のりです。
私自身も、当時は、ほとんどの人に、家族の実情を伝えることはありませんでした。
説明する時間もなかったですし、当時は、バリバリ仕事をしていると思われていたこともあり(笑)、そんな人間関係の中では伝えようがなかったというのが正直なところかもしれません。
この記事が、どこかで同じ思いを抱える方に寄り添えたら――そう願っています。
\メッセージはこちらからもお寄せください/