人との関わりの中で、思いがけず深い影が落ちることがあります。
その代表例が、誰かに裏切られたり騙されたりしたときではないでしょうか。
けれど、その暗がりの中でふと差し伸べられた言葉が、不思議と心を照らしてくれることもあるのです。
そんな瞬間を、私の体験を通して書いてみたいと思います。
心の痛み|裏切られたり騙されたり…
若い頃の私は、人を信じすぎて、よく痛い目にもあいました。
思い出すと胸がちくりとする出来事が、いくつかあります。
そんな傷心の日に起きた、今も忘れられない出来事があります。
裏切られたり、騙されたりしたこと、ありますか?
私は、そこそこあります。特に若い頃は……。中には、誰もが知るような事態になって、意気消沈したこともありました。そのとき、こう言われたんです。「あの人はそういう人物。あなたが勝手に、自分の理想を重ねて相手を見ていただけです」… pic.twitter.com/vx6y8DVAKO
— 山辺千賀子/やまべちかこ (@white7pearl) July 31, 2025
裏切りや騙しにあった人に対して、世間は必ずしも同情や憐れみの気持ちを向けるわけではありません。
追い打ちをかける人や、日ごろのうっぷん晴らしの対象にされることも生じます。
ただ、多くの人は、遠巻きで見てみぬふりをする……これは、悪意とは限らず、どんな言葉をかけたらよいかわからないので、様子をうかがっているのだと思います。
そんな中で、かけられた言葉が
「あの人はそういう人物。あなたが勝手に、自分の理想を重ねて相手を見ていただけです」
でした。
厳しさに裏付けれらた温かさ
この出来事で思い出すのは、「厳しさ」と同時に感じた「温かさ」です。
確かに言葉そのものは容赦なく鋭いものでした。
けれど、不思議と突き放された感覚にはならなかったのです。
それは、声色や表情の中に「あなたには立ち直れる力がある」「それは、あなたにとってどうでもいいこと」という思いが感じられたからでしょう。
「こんなことにとらわれていないで、あなたは未来に進みなさい」
そう言われたような気がしました。
人の言葉には、意味だけではなく「温度」があるのだと思います。
冷たく突き放すように届くときもあれば、背中をそっと押してくれる温もりを伴うこともある。
あのときの私は、その人が私にかけてくれた言葉の温もりに救われたのです。
被害者意識にとどまらないために
振り返れば、あのときの私は「なぜこんな目に」とばかり考えていました。
「自分のどこがいけなかったのか」と自分を責める気持ちと、相手を責めたい気持ちでいっぱいだったのです。
けれど、その視点にとどまってしまうと、自分の未来はなかなか開けません。
相手を変えようとやっきになるばかりで、自分でできることや、自分をどう変えていけるかを見失いがちだからです。
もちろん、理不尽な出来事に泣き寝入りする必要はないでしょう。
傷ついた気持ちを正当に訴えることや、守るための行動はとても大切です。
ただ、それと同時に「この経験を自分はどう扱うのか」という視点を持つことも欠かせないのだと思います。
「相手を変える」ことばかりを願うより、「自分ができること」に集中する。
「起きてしまった」過去を悔やむより、「これからどうするのか」という未来を考える。
その切り替えが、ネガティブな出来事に縛られる気持ちから、一歩抜け出す力になるのではないでしょうか。
言葉は救いの力となる
心理学の視点で言えば、私がそのとき感じ取ったのは「自己効力感」を呼び覚ますきっかけでした。
人は、自分の力を映し返してもらうことで再び立ち上がることができるのです。
また、違う表現をするなら――魂はつねに希望の方向を向いているのに、人はそれを忘れてしまうことがあるということです。
そんなとき、誰かがやわらかい言葉でその方向を映してくれると、眠っていた力が息を吹き返すのかもしれません。
結びに|裏切られたり騙されたり…
騙されたり、裏切られたり…。
そんな出来事そのものは痛みを伴いました。
けれど、そこで受け取った言葉とまなざしが、私にとって大切な支えとなりました。
ここで取り上げた”私のストーリー”は、ごくありふれた一つの体験にすぎません。
けれど、読んでくださった方の中にも「忘れられない言葉」はあるのではないでしょうか。
ふとしたときに思い出して、心の奥で静かに光る言葉。
それは、今の自分をもう一度前へ進ませてくれる合図かもしれません。
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