自己イメージを変えるには?“贅沢は敵”の思い込みを手放したきっかけ

自分でも自覚していない思い込みが、

知らぬ間に、自分の自己イメージを縛っていることがあります。

 

たとえば、実用品ばかりの部屋にいると、

心まで「実用」になってしまうのかもしれません。

 

私の場合、思春期に貧しさを経験してから、

ずっと「贅沢は敵」という感覚に縛られていたのだと思います。

 

今回は、そんな私が“贅沢”に対する罪悪感を手放し、

心の輪郭を少しずつ取り戻していったお話です。

 

“贅沢は敵”という思い込みが、自己イメージを歪めていた日

ある日、尊敬していた人から言われた一言がありました。

 

「仕事、頑張っているようだけど……今のままだと男になってしまいますよ」

 

その言葉を聞いた瞬間、

胸の奥で何かが小さく崩れたのを覚えています。

 

男性化していた私の自己イメージ

なぜ、ショックだったのか。

 

それは私が大切にしている価値観と、

自分自身が大きくずれていることに気がついたからです。

 

当時は、【男女共同参画】が花盛り。

 

「女は男同様になるのが平等!そこを目指せ!」

と言わんばかりの勢いがありました。

 

筆者の【男女共同参画】に関する主な活動
●内閣府の男女共同参画ヤングリーダー会議に、県代表で参加。

●フェミニズムの第一人者として知られる田嶋陽子(評論家・元参議院議員)さんと、あるイベントの対談で、トークバトルを交わし生放送された。

●仕事を持つ女性にとどまらない、子育てや介護など、様々なライフステージで奮闘する女性の、地域ネットワーク組織「トータルキャリアネットワーク・ブルー」を創設運営した。

 

そんな社会風潮の中でも、私は

女性らしさ、男性らしさは

大切にしたいと、考えては、いたのです。

 

なぜなら、性差は、

天から与えられたものだと感じていたからです。

 

男女に区別が無いなら、

なぜ、肉体的に、男と女に分かれているのでしょう。

また、肉体と精神の性が異なる人も沢山います。

 

それはすべて、天から与えられたもの。

そこには何か意味があるに違いない。

だから、自分に与えられたものは尊重したい。

こんな風に思っていました。

 

つまり、私の場合、

女性に生まれた以上は、

女性として生きることを

大切にしたいと思っているつもりだったのです。

 

それが、

「仕事、頑張っているようだけど……今のままだと男になってしまいますよ」

と、言われてしまったのです。

 

魂に響く警告のように感じました。

 

忙しさで、【実用】だけに生きていた

当時、私は仕事に介護に育児にと

時間に追われ、擦り切れるような日々を過ごしていました。

 

すると、持ちものは

どんどん“実用的”なもので埋まっていたのです。

 

効率がよくて、無駄がない。

気づけば、私の部屋はそんな言葉の集合体のようでした。

 

「このままでは男になる…」と言われて

 

初めて自分の部屋の空気にも気がつきました。

「これは、私の心そのものかもしれない」と。

 

 

効率と便利さの奥に、心の豊かさがなくなっていた。

今でいう、コスパとタイパだけで、暮らしが組みあがっていました。

 

ときめきを感じる余白を、自分で消してしまっていたんです。

 

心豊かに暮らしたいと願っていたはずなのに、

その“豊かさ”を自分に許していなかったのも、私自身でした。

 

どんなに忙しくても

どんなにお金がなくても

それでも、できることはあったはずなのです。

 

暮らしは心の鏡。

部屋の無表情さが、私の乾ききった心を静かに映していたように思います。

 

YURI
私の部屋も、すごく殺風景です。
せめてサボテンでも飾ろうかな?手間いらずだし。
CHIKAKO
その発想が、豊かさを遠のけているのだと、風水師に聞いたことがあります。観葉植物を飾るのはいいけど、楽なサボテンを選び、しかも枯らす。これは、意外と多い危険信号なんだそう。
YURI
あ、私、やりそう…。

節約思考が私の自己イメージをつくっていた

思えば、思春期のある時期、家計は厳しく、

日々の暮らしをつないでいくだけで精いっぱいでした。

 

母が疲れた顔で夕飯を作る姿を見ながら、

「少しでもお金を使わないようにしなきゃ」と思っていた自分を覚えています。

 

あの頃の私は、まだ子どもだったのに、

まるで家を支える小さな大人のような気持ちでいたのかもしれません。

 

働くようになって少し余裕ができると、

母の好きそうなお菓子を買って帰ったり、

ささやかなランチをご馳走したりできるようになりました。

 

 

それだけで「いいことをした」と思えたんです。

そんな小さな記憶が、きっと私の中で報酬のように残ったのでしょう。

 

節約や我慢は、いつの間にか「やさしさ」や「誠実さ」と重なって、

気づけば、それが私の生き方の“基本形”になっていました。

 

どれだけ自分で稼げるようになっても、

贅沢をすることには、どこかで罪悪感がついて回っていました。

 

その根っこには、あの頃の“我慢こそ愛情”という思い込みが、

まだ静かに息づいていたのだと思います。

 

 

結び|自己イメージ「実用」から抜け出す

贅沢をするためというよりも、

心をやさしく豊かに保つために、

私は“実用”の呪いをほどいていくことにしました。

 

自己イメージは、誰かに与えられるものではありません。

自分の手で、静かに育て直してくものなのでしょう。

 

そしてそれは、

一輪の花や一枚の布のような、

小さな豊かさから始まるのだと思います。

 

今でも、つい「実用」に傾きがちな私。

戒めを込めて、こんなポストを書いてみました。

 

\Xに投稿したポスト/

 

筆者が運営する
\お悩み相談ブログ「シアワセの素」/

シアワセの素

仕事も恋も暮らしも幸せにしたい女性のためのヒントをお伝えしています。人材育成業や地方議員の妻の立場で見聞きしてきたお悩み…

 

 

\筆者の日々のつぶやき/

X(旧Twitter)で読む