祈りの力は科学的にどのように解釈されているの?新嘗祭に思う事

祈る姿

手紙の結びによく使われる「ご多幸を祈ります」と言う言葉。

これって、ただの慣用句と思ってしまいがちです。

 

でも、「誰かが自分のために祈ってくれる」って、本当はとっても特別なことだと思いませんか?

優しさ、気遣い、大切にしてもらってる感じ…相手からは、そんな思いが伝わってきます。

 

今日は、そんな「祈られること」の力について、科学的な視点も交えながら考えてみたいと思います。

新嘗祭(にいなめさい)で祈られるということ

11月23日は新嘗祭。

天皇陛下が五穀豊穣への感謝を捧げるとともに、国民一人ひとりの幸せと平和を祈ってくださる日です。

こうした祈りの行事が現代ではあまり話題に上らないのは、少し寂しい気もします。

 

 

でも、ちょっと想像してみてください。

日本の象徴である天皇陛下が、全身全霊を込めて私たち一人ひとりの幸せを祈ってくださる…。

そのことに思いを馳せると、胸の奥が温かくなる感じがしませんか?

「祈られること」がもたらす力

科学的にも、「祈られる」ことには効果があるんじゃないか、と言われていますね。

例えば、アメリカの研究では、患者に対して誰かが祈った場合、その患者の回復が良好になる傾向が示されたこともあるんです(もちろん、研究結果は一貫していないものもありますが)。

 

こういった研究から分かるのは、祈られること自体に少なくとも心理的な効果があるということでしょう。

 

誰かが自分のために祈ってくれていると知ったとき、私たちは「孤独じゃない」「誰かが見守ってくれている」という安心感がありますよね。

その安心感がストレスを和らげ、体や心に良い影響をもたらすのでしょうか。

心がほっとするだけで、自己治癒力や免疫力が高まるとも言われています。

 

CHIKAKO
私自身は、祈りはエネルギーとして力を持っていると感じています。

科学を超える祈りの魅力

実際、祈りを「エネルギー」として捉えようとする仮説もありますね。

祈りが何らかの波動を送り、相手に力を届けるのではないか、という考えです。

量子物理学やエネルギー療法の分野で提唱されています。

 

ただ、これについては科学的な証拠がまだ不十分なので、信じられるかどうかは、人それぞれかもしれませんね。

それでも確実に言えるのは、「祈られること」で生まれる安心感や希望が、私たちを強く支えてくれるということです。

あなたも私も、祈られている

新嘗祭の天皇陛下が捧げる祈りは、日本全体への祈りでもあります。

つまり、その中に、あなたも私も含まれているってことです。

 

「ちょっとピンと来ないな」という人もいるかもしれませんが、「自分を祈ってくれている存在」があると知ることは、多くの人にとって心が温かくなることではないでしょうか。

 

CHIKAKO
長く公職に携わった夫とともに、皇居や園遊会にお招きいただいたことがあります。その折、天皇陛下のお姿を拝しました。慈愛と確かな信念に満ちていらっしゃるご様子は、今も深く心に刻まれています。

祈られる力に感謝しながら

誰かが自分の事を想い、祈ってくれる。

 

それは、新嘗祭の天皇陛下のような遠いご存在のときもあれば、身近な家族や友人のときもありますね。

その祈りがどんな形であったとしても、祈られる側に力を与えてくれることは確かでしょう。

 

日々忙しい暮らしの中で、「祈り」なんて遠く感じる人もいらっしゃるかもしれません。

でも、時には「祈られている自分」を思い出してみませんか。

 

 

自分の幸せを祈ってくれる存在。

それは神仏と言われる存在かもしれません。

 

また、今は亡き親や親しかった人かもしれません。

 

姿は見えないけれど、きっと今も、私たちの幸せを祈ってくれているのではないか、そんな風に感じることはありませんか?

 

そうした存在に思いを馳せると、心がふっと温かくなりそうです。

 

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