【昭和|夏休みの恐怖体験】小学生の時、誘拐されかけた思い出【実話】

夏休み

昭和の夏休み、小学生だった私は忘れられない恐怖体験をしました。あれは2年か3年の頃だったでしょうか。誘拐されかけたのだと思います。夏休みのある日、私と2つ下の弟は、生家の前にあった小学校のグラウンドで、木の枝や石を使って地面にお絵描きをしていました。生家は昭和の地方都市には珍しい鉄筋三階建てで、私たちはその家の目の前で遊んでいました。

※ 本記事は、別のサイトで掲載していたものをリライトし再掲載しています。

昭和の夏休み、小学生の恐怖体験

その時、見知らぬ大人の男性が近づいてきて、「絵が上手だね」などと声をかけてきました。そして「二人のおうちはあれだよね」と、グラウンドの目の前にある私たちの家を指しました。私はうなづきながらも、何となく違和感を感じたので、絵を描く手を止めることなくうつむいたままでいました。

弟は話しかけてくるおじさんに楽しそうに応じていましたが、私は何か得体のしれない緊張感を感じていました。

昭和の写真:地面にお絵描き

YURI
古い写真ですね。もしかしたらこの写真は、実際のCHIKAKOさんと弟さんですか?
CHIKAKO
弟と、日頃からよくお絵描きしていたことを覚えています。旧いアルバムから発見しました。

誘拐未遂の瞬間

おじさんは「これからセミ取りに行こうか」と提案し、「あそこに車が停まっているだろう、あれで連れてってあげる」と言いました。弟はすぐにでも車に向かって駆け出しそうになりましたが、私は弟に目くばせをし、「行っちゃダメ」とプレッシャーをかけました。弟もそれを察して、おとなしくお絵描きを続けることにしたようです。

昭和の写真:弟

 

CHIKAKO
当時の弟です。昭和ですね~。

 

車のそばには、女性がいたのを覚えています。印象深かったのは、男尊女卑が当たり前の昭和に、その女性はおじさんより偉そうな感じがしたことです。きちんとした服装でどちらかと言えば派手な印象を受けました。

「セミを取ろう」と言うおじさんもカジュアルな服装ではなかったと思います。「セミ取り」に連れて行ってくれるというより、よそ行き(昭和らしい表現でしょう笑)だったのです。「網もカゴも持っていないから」と言うと「買ってあげる」などと誘われたようにぼんやり記憶しています。

昭和の誘拐事件の記憶

私たちが誘拐されそうになってから何年も後に、ある連続誘拐殺人事件が報じられました。その犯人は現在も死刑囚として収監されています。

その事件が世間を賑わせていた当時、私は自分の体験をこの事件と結びつけることはありませんでした。恐らく、私の体験がその事件よりもずっと前のことであり、またその連続誘拐殺人事件は、子どもを対象にしていなかったからだと思います。

しかし、何十年も経ち、その事件について深く知るうちにぞっとしました。連続誘拐殺人事件の犯人とされている女性のイメージが、私の記憶に残る「男性よりも偉そうな女性」と重なったからです。私たちに直接セミ取りを誘ってきたおじさんは、離れたところにいるその女性の顔色ばかりうかがっていたのを覚えています。

報道された事件では誘拐された人はみな殺害されていたことを今さらながら受け止め、改めて恐怖を感じました。

また、私のふるさとでは北朝鮮に拉致された人々の噂がありましたが、当時は誰もそれを真剣に受け止めていませんでした。まるで笑える都市伝説のように語られていたのです。基本的には子どもは拉致されないと言われているようですが、横田めぐみさんのことを考えると、もっと幼い子どもも対象にしている可能性はあったのかもしれません。

昭和の地方都市の背景

当時、私の生家は地方都市のちょっとした小金持ちで、おじさんはそのことをよく知っていたのでしょう。彼は、私たちが自発的に車の方に行くように仕向けていましたが、私は動こうとしませんでした。うつむいて地面に黙々と絵を描き続けていたのです。何か身動きが取れない気がして、そうするしかなかったのだと思います。繰り返し「セミ取りに連れてってあげる」と言われ続けましたが、最終的には彼らは諦め、車に乗って去って行きました。

(小金持ちの時代の後はどん底に落ちて行きます。その話はまたいずれお付き合いください。)

誘拐未遂の後

家に帰ってからも、私は親には何も言えませんでした。夏休みが終わり、学校で先生が「知らない人に声をかけられた人はいませんか」と問いかけましたが、私は小さな声で「…はい」とつぶやくのが精一杯でした。先生も、生徒全員に対して、夏休み明けの挨拶の一環として声をかけただけだったのでしょう。

聞かれたのでつい答えたものの、すぐに、まるで私自身が悪い事をした側にいる気がしました。バツが悪そうな私の小さなつぶやきに、周りの生徒たちも反応するわけにいかなかったのでしょう。私の声は宙に浮いたまま終わってしまい、事の重要性は誰にも伝わることはありませんでした。何よりも私自身が、「誘拐」というおおごとが自分の身に起こっていたかもしれないことを信じたくなかったのだと思います。

犯罪被害者の心理

あの時の私は、セミ取りに誘ってくる見知らぬ大人たちに対する違和感や恐怖を感じながらも、弟を守るために精一杯対処しようとしました。これは、身を守るための本能的な反応が働いていたからだと思います。何よりも弟は私にとって大切な存在で、私が守らなくてはという強い思いがあったことは今でも覚えています。

夏休みの恐怖体験

今になって驚くのは、当時の私が強く感じていたのは、「何かよくないことが自分の身に起こるのは、自分に何かしらの落ち度があるからだ」という意識でした。こうした状況に陥るのは自分のせいだと感じてしまい、周囲に心配をかけたくないという思いもあり、その事実を打ち明けることができませんでした。

また、当時は自身の体験を適切に理解し、他者に伝えることの難しさもありました。私は大人になってからようやく、そのときの自分の感情や行動を理解することができました。記憶が曖昧になってしまったのも、この出来事を長い間、誰にも言わずにいたからかもしれません。兄にもつい先日、初めて話したばかりです。

夏休みの子供たち

このブログを読んでくださる方の中には、お子さんのいるご家庭の方々もいらっしゃることでしょう。子供には、大人からの働きかけが、本当に大切だということを、ばあばの私は改めて再認識しています。

当時の自分を振り返って思うのは、子どもは自分が体験していることの軽重がわからないということです。また、大人に対して伝えるべきかどうかもわかりません。当時の私は、見てはいけないものを見てしまった、体験してはいけない体験をしてしまったかのように、記憶の片隅に封じ込んでしまったようです。

もし昭和の誘拐事件に詳しい方がいらっしゃいましたら、どうぞ情報をお寄せください。今も私にとって、あれが何だったのかわからずじまいなのです。

 

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