仕事でも人間関係でも、勝ち負けの中で疲れてしまった時期がありました。
そこから「比べない生き方」を見つけていくまでの、私の心の「小さな記録」です。
勝つと罪悪感、負けると自己否定
――比べる世界で感じた生きづらさ
勝つと罪悪感。
負けると自己肯定感がだだ下がり。
そんなことってありませんか?
仕事でも人間関係でも、いつのまにか「どちらが上か」「誰が注目を集めるか」が、場の空気に漂っていることがあります。
会議での発言の新鮮さや、プレゼンでの評価。
身につけているものや、人脈。
こうしたもので、知らず知らずに順位がつく世界です。
そういう場ではいつも少し居心地が悪い——
私に限ったことではないはずです。
「勝つと、相手を傷つけてしまう気がする」
「負けると、自分の存在が小さくなる気がする」
そのどちらも、心が疲れてしまいます。
心理学では、こうした状態を「比較による同一化のストレス」と呼ぶそうです。
自分の価値を他人との比較で測ると、どちらに転んでも心がすり減ってしまうのです。
育児と介護の中で見えた、勝ち負けの外のチャンス
30代、育児や介護に時間をとられ、思うように働けなくなったとき、私は起業という道を考えました。
でも、お金も人脈も経験もない。
なんとか仕事を得ていくためにはどうしたらいいのでしょう?
勝ち負けで、仕事を得られる世界には、とうてい入っていけないと感じていました。
そこで、当時、広がっていた「ニッチ」という考えに注目しました。
つまり、すきまです。
「誰も注目していない“すきま”にこそ、チャンスがあるかもしれない」と考えたのです。
競わずに済む場所、誰かと比べることのない場所を、探し続けました。
とびぬけた発想力などありませんから、
ほんの小さな違いなのに、まだ誰もしてないところを探したのです。
たとえば、私が人材教育業に入っていったきっかけは
⇒ コミュニケーションをテーマに広げればまだ誰もやっていない!
⇒ 上司と部下、部門間やお客様との間にある、コミュニケーションギャップを解消する!
⇒ でも、お花ならお花、と、単一の教室しかない!
⇒ ちょっと試してみたい内容をシリーズで展開してみよう!
⇒ 仲間を募り、得意分野をシリーズで構成してみる!
人は、制限の中でこそ“本当の自由”を見つけることがある――そう気づいたのも、この頃だったと思います。
競争のない場所で出会った“穏やかな強さ”
もちろん、相手のほうから勝ち負けで挑んでくることもありました。
そんなとき、相手が「負けた」と感じたことが伝わってくると、なんだか申し訳なくなり、相手が「勝った」と視線を投げかけてくると、私の心が沈みました。
身につけている服を値踏みされたり、
「当然このくらいの人脈はあるわよね」と話題を振られたり。
そうした場にいると、息苦しさが胸の奥にたまっていくようでした。
そんなとき、私は、そっと一歩、外に出ることを心がけていました。
時には逃げ出すようにそうしたこともありました。
でも、ある時期から、自分の居場所がみつかったのです。
みんなが「私」のことを主張している場なら、「あなた」の話をする側に立つことにしたのです。
これで、相手と勝ち負けの構図にならず、自分らしくいられるようになっていきました。
心の静けさを選ぶということは、負けることでも逃げることでもなく、“自分らしくいる選択”なのだと、いまは思います。
“比べない生き方”の先にあった自由
そうして見つけた居場所は、思っていたよりずっと居心地がよく、あたたかいものでした。
誰かと比べることなく、自分の心のペースで働ける世界。
小さくても、ちゃんと意味のあることを積み重ねられる時間。
「誰かに勝つため」ではなく、
「自分が心地よく」動く日々は、創造的で、本当に自由です。
心理学では、これを「自己決定感」と呼ぶんですね。
“自分で選んでいる”という感覚が、人を幸せにする。
それは、他人に評価されるよりもずっと深く、長く心を支えてくれる力となっているのを感じます。
勝ち負けの外にある幸せを、信じてみる
私のように、勝ち負けの世界で疲れる人は、きっと少なくないのではないでしょうか。
無理に競わなくてもいい。
比べられなくても、ちゃんと居られる場所がある。
魂は、誰とも比べる必要なく、自分のリズムで成長していく——
それが、本来の姿なのではないでしょうか。
自分のリズムを信じて生きることこそ、本当の「自由」なのかもしれません。
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勝つと罪悪感。
負けると自己肯定感だだ下がり。おかげで、争わなくていい居場所を見つけるのが得意になりました。
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— 山辺千賀子/やまべちかこ (@white7pearl) October 11, 2025
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