1歳の子どもが知らない人に抱っこされた…未来の希望を再認識した小さなエピソード

日々の暮らしの中で、ふと不安を感じることが増えました。

 

「悪い人のために、私たち普通の市民が不都合を強いられる」

そんな現実に、気づけばずいぶん慣れてしまっているようにも思います。

 

強盗や特殊詐欺などのニュースを見ては、個人情報の管理を徹底し、人との距離を取るようになりました。

ちょっとした知り合いでさえ、名前も連絡先もわからないということが珍しくありません。

 

知らない人に声をかけるのをためらい、見ず知らずの子どもに優しくしたくても、誤解されるのではと不安になる。

 

そんな「過剰な警戒」が、やさしささえ遠ざけてしまうように思えることもあります。

でも、世界はまだまだあきらめるには早すぎる、そんなことを感じたエピソードです。

子どもの信頼に、ためらわず応える大人がいる世界

つい先日、お嫁ちゃんからのラインで、1歳半の孫のちょっとした出来事を知りました。

 

私はその話に思わず顔がほころび、嬉しくなって、Xにこんなポストをしました。

 


 

小さな子どもが見せる、まっすぐな信頼。

その信頼に、何のためらいもなく応えてくれる見知らぬ大人。

 

そんな光景が、この時代にもまだあることが、とても嬉しかったのです。

子どもは世界を信じている

子どもたちは、この世界がどれほど大人たちの都合や不安で満ちているかを知りません。

 

だからこそ、何の疑いもなく、初めて会った人に「抱っこして」と手を伸ばす。

その小さな手を、やさしく受け止めてくれる人がいる。

 

それは、この社会の中にまだ「希望」が息づいている証のようにも感じました。

やさしさは、どこにでもある。けれど、気づけるかどうか

この出来事を知って、私が最初に思ったのは、

「やさしさは、もともとそこにあったのかもしれない」ということです。

 

きっと私たちは、日々の忙しさや、SNSでの刺激的な話題に心を奪われて、目の前にあるやさしさに気づきにくくなっているだけなのかもしれません。

 

誰かに笑顔を向けられたとき。
電車でさっと席を譲ってくれたとき。
レジで小さな子どもに「こんにちは」と声をかける店員さん。

 

それらはすべて「善意」のかけらです。

 

そして、そのかけらは、今も私たちのまわりにちゃんと存在しています。

「信じる力」が、世界をやさしくする

「世界は善意で満ちている。そう信じられる暮らしは、きっとまだ取り戻せる」

そう思わせてくれたのは、何気ない日常の中にいた、孫とその見知らぬ女性のやりとりでした。

信じることをやめなければ、世界はきっと、またやさしくなれるのかもしれません。

 

まとめ:やさしさを受けとった日の、小さな記録

ご紹介したエピソードは、たぶん誰もがすぐに忘れてしまうような、小さな日常の一場面。

でも、その一瞬のやさしさが、こんなにも心をあたためてくれるとは思いませんでした。

 

私は、子どもの手を受け取ってくれる見知らぬ誰かが、今日もどこかで、やさしさを体現していることを信じていきたいと思います。

 

そして、毎日、ちょっとだけやさしくなっていけたなら──

それだけで、世界はまたひとつ、明るくなる気がしています。