子供の頃、こんなことはありませんでしたか?
テスト前になると、なぜか思い立って部屋を片づけたくなる。
普段はズボラだったとしても、そういう時に限って始めてしまう。
不思議ですよね。
今も、気分がモヤモヤしたり、何かに迷ったりすると、
なぜか急に片づけを始めたくなることがあります。
これは偶然ではなくて、
たぶん脳がリセットを求めているんだと思います。
片づけると、心の中も軽くなる
出しっぱなしになったものをしまったり、
引き出しの中を整理しているうちに、
ついでに気持ちまで整ってくる。
そんなこと、ありますよね。
片づけは、単なる家事のひとつではなくて――
心の空気を入れ替える、小さなセレモニーかもしれません。
不要なものは手放して、
どこに何があるのか一目でわかるようにしていくと、
思考も整理されていく――。
そんなふうに、
私たちは「心のメンテナンス」をしているのではないでしょうか。
転機が来るたび、手放してきたもの
人生の中で、引っ越しは何度も経験してきました。
初めての転居は思春期の。
家業の倒産で、それまでの住まいの数分の一ほどの小さな家へ。
その後は、上京、Uターン、結婚、離婚。
シングルマザーとして、
実家の四人の高齢者と暮らしを支え合った時期も、
状況に合わせて転居を重ねました。
そして再婚。
さらに、シニアになってから、故郷を離れ、子や孫のいる関東へ移りました。
夫の地方議員引退と、夫と私の両方の親をすべて見送ったことが契機でした。
いくつかの引っ越しははしょってますが、
かなりの回数を経験したほうだと思います。
じっくり整理する時間があった引っ越しは、ほとんどありません。
幸か不幸か、環境の変化に伴い、大急ぎの転居ばかり。
しょうがないので、荷物を段ボールに詰めながら
「……これは……ま、いいか」と、
ためらいと共に手放してきました。
それでも、不思議と困ることはなかったです。
むしろ、何も持たずに新しい土地に立ったときのほうが、身軽で自由な気持ちでした。
思えば、あの“強制的な手放し”が、私の価値観をつくったのかもしれません。
「ものが少ないほうが、心が軽くなる」――そんな感覚を、身体で覚えた気がします。
過去につながるものが視界から消えることで、
今と未来に集中できたのかもしれません。
「ため込まない」は、暮らしの哲学
最近は、ため込まないことを意識的に選ぶようになりました。
それは、収納を減らすことでも、ミニマリストを目指すことでもなくて、
“流れを止めない”という感覚に近いです。
風水では、不要なものを抱えた部屋には“滞り”が生じるといいます。
けれど、それは家の中だけではなく、心にも言えること。
考えすぎて動けなくなるときも、感情をため込みすぎるときも、
どこかで空気を入れ替えることが必要なんですよね。
だから私は、物を整理するとき、
いつも心の奥も一緒に点検しているような気がします。
人生の棚卸しは、今この瞬間にも
最近、このブログを書くようになって気づいたのですが、
文章を書くというのも、心の整理にとても似ています。
過去を並べて、要るものと要らないものを見分ける作業。
残しておきたい思い出、手放すべき後悔。
それを言葉にして並べていくと、
まるで頭の中の引き出しを整えているみたいです。
たぶん、私は今“人生の棚卸し”の途中にいるんでしょう。
それもまた、悪くないなと思えるようになりました。
結びに|ため込まない暮らし
「ため込まない」というのは、何も持たないことではありません。
やさしく風が通るように、流れを止めない暮らし。
物も心も、使うか、使われる日まで休ませておくか。
忘れ去られてしまった物はかわいそう——
季節の光の中で、そんなことを感じながら、今日も少しだけ引き出しを開けてみます。
整理をする手の動きが、心の中のほこりをそっと拭ってくれる――そんな気がしています。
\Xに投稿したポスト/
服も気持ちも、そろそろ入れ替えの季節。
で、ついでに、捨てちゃえ。
「ためこまない」を、私の秋キャンペーンにします。
👑暮らし(画像はイメージです) pic.twitter.com/5PUn5msrTH
— 山辺千賀子/やまべちかこ (@white7pearl) September 23, 2025
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