地平線が、
縦にも斜めにも走る光景を、
ドア全開の
プロペラ機から見るという体験は、
私の人生で最初で最後のものでした。
ドローンなど存在しなかった昭和の時代、
ローカルテレビコマーシャルの空撮は、
パイロットの腕だけが頼りでした。
この危険なエピソードは、1980年代のこと。
もう時効ですよね。
内容
- 昭和が懐かしい方
- 昭和のコマーシャルに興味がある方
- 日本軍戦闘機に関心がある方
目次はクリックで開きます。
日本軍戦闘機の元操縦士に命を預ける
1980年代。
ローカルコマーシャルを制作する会社に
勤務していた私は、
その日、
日本軍戦闘機の元操縦士が
パイロットを務める
セスナ(小型飛行機)に乗り込みました。
当時、私は
CMプランナーという肩書は
一応ありましたが、
実態は地方の零細企業の従業員。
一人何役でもこなさないと
会社が成り立ちません。
その日は、社長がカメラマン、
私がそのアシスタントとして
空撮に臨んだのです。
掲載写真はすべてイメージです
職人気質でワンマン経営の社長が、
事前打ち合わせなど
しゃれたことをするはずもなく、
「セスナで」とだけ知らされ、
機材を用意して空港へ。
電車が走る様子を、
どうしても空から撮りたい、
と社長が言い出し、
この日の空撮が決まりましたが、
昭和にドローンなどありません。
地方の空港で、
個人需要に気軽に対応してくれる航空機は、
小さなプロペラ機、セスナだけでした。
ヘリコプターより
セスナが身近な存在(低料金?)
だったのだと思います。
「年寄りだけど、腕はいいから」
と紹介された操縦士は、
聞けば、
日本軍で戦闘機を操縦していた
とのことでした。
狭いセスナはドア全開、這いつくばって撮影
操縦士の方はなかなかのご高齢で、
戦争を知らない(当時)若者だった私は、
「日本軍で戦闘機を操縦していた」
という言葉が意味することもわからず
「時間当たりの料金、高いから、
さっさと撮ってしまおう」
と社長に促され、
小さなセスナに乗り込みました。
座席の記憶はありません。
機材を抱えて這いつくばっていたからです。
ガラス窓越しに撮影していては
鮮明な映像が撮れませんから、
ドア全開。
開いているドアにカメラを構え、
その床に這いつくばって
撮影のタイミングを狙う社長。
私はその後ろにいたのですが、
開いているドアからは
いつ放り出されてもおかしくない
恐怖がありました。
ローカル電車が走る様子を、空から撮るという意味「デンジャラス」
目的の電車が走る時刻を
見計らって乗り込んだセスナでした。
電車が走る様子を、
どうしても空から撮りたい!
なんといっても地方ですから、
電車は山手線のように
1時間に何本も走っていません。
撮影は、ほぼ一発勝負。
撮りたい「絵」があって、
テイク1で
満足しなかったときは、
どうなると思いますか?
1回こっきりのチャンス、
その電車が通るほんの数分の間に、
空中で、
セスナの
ドア全開で急旋回するのです!!
セスナは、
できるだけ小さく回って、
今走っている電車の進行方向に向かって
先回りするのです!!
ちなみに撮りたかった「絵」とは次の通りです。
地平線が、斜めに、縦に
撮影機材が床を滑り流れます。
ドアは全開
安全ベルト無し。
当時は私も20代の若い女性。
しかも高所恐怖症。
賢明な読者の皆さまなら、
察するに余りある状況と
ご理解いただけることと思います。
地平線が、
斜めに、縦に、と
ぐわぐわぐわーっと走りました。
ふるさとでは長期にわたって使用されたコマーシャルに
「あ、いいねー」
「広がる平野を
電車が走ってるところが一発でわかる!」
ドローンの無い時代の空撮ですから、
反響は良かったと思います。
が、そこに決死隊の思いがあったことは、
今なら言える告白です。
「いいねー」で済んで本当に良かった。
万が一の時は、
日本軍戦闘機の元操縦士のおじいちゃんと、
つかこうへい似のワンマン社長と、
若い身空であの世行き……。
それだけは避けたい、
と念じた遠い日の思い出でした。
※ 本記事は筆者の別ブログで記載していたものを移転し掲載したものです。
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