はっきり言う人は、苦手でした。
ものの言い方が強く、どこか無神経で、相手への配慮に欠ける。
そんな印象を、持ち続けていました。
けれど人生には、耳ざわりのよい言葉だけでは進めない場面があります。
仕事が行き詰まり、自分でも出口が見えなくなっていたとき。
私を立て直してくれたのは、ある人の短く率直なひと言でした。
本当の優しさとは何かを、私はあの経験で、深く腑に落ちる形で知った気がしています。
順調だった仕事に、少しずつ影が差し始めた
当時の仕事は、最初こそ順調でした。
勢いがあり、周囲の反応も悪くない。
問い合わせも入り、このまま育っていくのではないか。そんな期待もありました。
けれど、物事が傾くときは、大きな音を立てません。
注文の勢いが鈍る。
以前なら返ってきた反応が薄くなる。
数字にも、じわじわと影が差し始める。
小さな違和感は、最初は見過ごせてしまうものです。
今日だけかもしれない。たまたま今月だけかもしれない。そう言い聞かせることもできます。
私は、まさにそんな一人でした。
現実を正面から見ようとしませんでした。
PRの仕方を変えれば戻るかもしれない。
もっと気持ちを入れれば流れは変えられるかもしれない。
今できていることの延長線ばかりを、必死に探していたのです。
夜になると、不安だけが大きくなった
本当は怖かったのだと思います。
土台そのものに問題があると認めてしまったら、今まで積み上げた時間まで崩れてしまう気がしたのでしょう。
昼間は気丈に動きました。
人前では平気な顔をして、やるべきことをこなしました。
けれど夜になると、不安は静かに膨らみました。
動いている昼間は、気も紛れます。
けれど夜は、ごまかしがききません。
暗い部屋の中で、先の見えない明日のことばかり考えてしまう。
通帳の数字。
今後の支払い。
もしこのまま下り坂が続いたら――。
同じ心配が、頭の中をぐるぐると回り続けていました。
何人かにさりげなく相談もしました。
小さな地方都市でのことですから、経営難などと噂が立つのも気になっていました。
励ましてくださる方。
気遣ってくださる方。
「大丈夫」「そのうち流れは変わるよ」と言ってくれる人。
ありがたい言葉でした。
けれど、不思議なくらい心に届かなかったのです。
優しいのに、救われない。
もう慰めだけで越えられる場所ではないと、心のどこかでわかっていたのだと思います。
必死で資料を作り、答えを探そうとした
ある日、私は、覚悟を決めました。
仕事の内容。
これから考えている企画。
現在のお金の流れ。
課題だと思う点。
描いている展開。
それらを資料にまとめ、信頼している人に見てもらおうと決めたのです。
当時の私は、パワーポイントもエクセルもほとんど扱えませんでした。
それでも、やるしかありませんでした。
慣れない操作に手こずりながら、夜遅くまで画面に向かう。
数字を並べ直し、文章を削り、また足す。
印刷して読み返し、赤ペンで直し、もう一度組み立て直す。
少しでも見やすく。
少しでも伝わるように。
少しでも、次につながるように。
何日もかけて、ようやく形にしました。
これだけ整理すれば、何か道が見えるかもしれない。
誰かに見てもらえば、突破口が見つかるかもしれない。
資料を作りながら、自分自身を奮い立たせていたのだと思います。
返ってきたのは、たったひと言
そして、その人に資料を渡しました。
しばらく無言でページをめくり、静かに目を通したあと。
返ってきた言葉は、たったひと言でした。
「売るものがない」
頭の中が、しんと静まり返りました。
意味は、すぐにわかりました。
けれど、心が追いつかない。
ここまで悩み、ここまで考え、ここまで時間をかけて作った資料。
その全部が、一瞬で白紙になったように感じました。
正直に言えば、かなり落ち込みました。
何も言えませんでした。
ただ、不思議なことに、その人を冷たいとは思わなかったのです。
そこには、あざけりがありませんでした。
見下しも、
同情めいた甘さも、ありませんでした。
ただ、事実だけが静かに置かれていたのです。
その静けさが、言葉よりも深く届きました。
その人は、困り果てた私を、その後、手取り足取り助けてくれることもありませんでした。
これは、あなた自身の課題。
言葉にしなくても、そんな線引きがありました。
でも、私は、突き放された感じがしなかったのです。
むしろ、自分で立つしかないと、腹が決まりました。
あとから気づいたことですが、あの言葉には余計なものが何もありませんでした。
慰めも、フォローも、期待の言葉もない。
だからこそ、言葉の重さが純粋なまま届いたのだと思います。
相手の力を信じ、課題を本人に返すこと。
その人がしてくれたことが、私を動かしてくれたのです。
あの痛いひと言が、視点を変えてくれた
私はたとえば、菓子店なのに、たまたま当たった一種類の商品だけを握りしめて、店全体の未来まで語っていたようなものだったのでしょう。
自分では工夫しているつもりでした。
見せ方を変える。
働き方を変える。
スタッフのやる気を引き出す。
細かな調整を繰り返す。
けれど、肝心なのはそこではなかった。
そもそも求められているものは何か。
顧客の求めに合っているのか。
責任を担えるスタッフはいるのか。
続けていける仕組みになっているのか。
向き合うべき問いは、もっと根本にありました。
その人は、私が何か月も目をそらし続けていた核心を、一目で見抜いたのでしょう。
あの日を境に、視点が変わりました。
頑張っているか。
気持ちがあるか。
努力しているか。
そんな基準ではなく、
必要とされているか。
届けるスキルがあるか。
続けられる土台があるか。
そこを問うようになりました。
正しい言葉は、深く優しい
今でも、はっきり言う人には少し緊張します。
けれど、一括りで苦手だとは思わなくなりました。
本当に誠実な人ほど、必要な場面では言葉を濁さないことがある。
優しい人ほど、相手の未来のために嫌われ役を引き受けることがある――。
人は、優しい言葉に救われることがあります。
けれど、正しい言葉に育てられることもあります。
あの日の私は、後者に支えられました。
あの痛いひと言は、今でも心のどこかで、私の背筋をそっとただしてくれています。
はっきり言う人の、魅力や課題も掘り下げて綴っています。
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