人生の軌道修正は、たいてい突然でした。
少なくとも、私はそう感じています。
自分では普通に日々を過ごしているつもりなのに、ある日急に、立っている場所が崩れる。
理由もよくわからないまま、昨日までの日常に戻れなくなる。
そんなことが、人生に何度もありました。
でも、あとから振り返ると、不思議なことに気づきます。
あの崩れた場所が、実は――別の扉の入口だったと。
【筆者やまべちかこ】人材育成コンサルタント・カウンセラー
職場の人間関係から家庭の問題まで、長年にわたり多くの方の悩みに向き合ってきました。自身の経験、ステップファミリーとしての家族再構築、介護、貧困、地方での暮らし――そんな記憶も重ねながら「人生をどう整え直すか」を探り続けているシニアです。女性ネットワークの立ち上げ・運営などを通じて、さまざまな立場の女性たちの声も聞いてきました。本ブログ「私のストーリー」では、人生の途中で見つけた気づきや、遠回りの中で拾った小さな希望を綴っています。
身に覚えのない噂が広がり、居場所が音もなく消えていった
人生の流れというのは、不思議なもので。
あとから振り返ると、「あの頃から、少しずつ空気は変わっていたのかもしれない」と思うことがあります。
当時の私は、うんと若かった。
目の前の仕事に夢中で、人の感情の流れや、場の空気の変化に、うまく対処できていませんでした。
自分が誠実に生きていれば、多少の誤解が生じても、必ず解消されていくものだと思っていました。
ですが、今思えば、少しずつ居心地が変わっていったんです。
誰かの態度。
間合い。
言葉の温度。
以前なら自然に笑い合えていた場所で、なぜか少しだけ緊張するようになる。
説明できない違和感って、本当にあるんですよね。
私は地方で、CM制作のチーフプランナーという立場を与えられ、年上の部下がいる立場でした。
それを面白くないと思う人がいるのは、それなりに感じて配慮しているつもりでした。
そんな中、突然、身に覚えのない批判が広がり始めました。
「あれは彼女が悪意でやったらしい」
「あれは彼女がわざと失敗させた……」
最初は、仕事の責任者も、私へのそんな批判が耳に入ると、私に直接注意してきました。
逆に言えば、私にも直接否定するチャンスがあったのです。
ですから「何かの間違いだろう」と思っていました。
でも、いつのまにか、責任者がよそよそしくなり、小さな地方都市の、小さな同業者の間で、気づけば、空気が変わっていました。
理由がわからないまま、自分の居場所だけが、少しずつ狭くなっていくような感覚でした。
ある時、人づてで、その責任者の異変を聞かされました。
「彼、最近、あなたのことを、よく言わない……悪く言っている」と聞かされました。
仕事の責任者はその業界のキーパーソンでしたから、影響は大きかったと思います。
なぜか叱責されることが増える。
なぜか大切な仕事から外される。
後輩たちがいつの間にか私を煙たがるようになっている。
説明のつかない距離感が生まれていました。
でも、その頃の私は、本当に理由がわかりませんでした。
ただ、「何かがおかしい」という感覚だけが、毎日の中に沈殿していったんです。
「何かがおかしい」説明できない違和感が、静かに積もっていった
二十代の頃。
私は地方で、CMプランナーの仕事をしていました。
テレビやラジオで流れる、地元企業のコマーシャルを考える仕事です。
とはいえ、所詮は小さな地方都市の零細企業。
クライアントや広告代理店相手に、ジャケット姿でプレゼンするようなキレイな日々ではありません。
一人何役もこなすしかないのが実態ですから、十キロを超える機材をいくつも運んだり、ロケになればゴミ拾いや掃除から始めたり。
衣装の手配やヘアメイクも独学でやるしかありませんでした。
撮影現場になれば、モデルやタレントへの配慮や、チームの場づくりにも気をもみます。
残業が深夜に及ぶと、カップラーメンをすすったりもしました。
地元の放送局や新聞社ともお付き合いがあるので、それぞれの担当者とは、気軽に懇親会……いわゆる昭和の飲み会ですね……よくご一緒しました。
みんな近かった。
そうしないとやっていけない泥臭い現場仕事でした。
企画を考えるのは大好きでした。
誰かの想いがこめられた商品やサービスを、限られた時間の中で、どう伝えるか。
うまく言えませんが、「思いが形になる瞬間」がたまらなく好きでした。
関係者から「プレゼンで負けなしプランナー」という評判を教えてもらって、ちょっと誇らしくも感じていました。
ですから、あの頃の私は、たぶん、ずっとその仕事を続けていくものだと思っていました。
理由がわからないまま、私はその場所を去ることになった
でも結局、私は、その仕事を離れることになりました。
自分から辞めた、というより。
そこに居続けることが、だんだん苦しくなっていったんです。
まったく身に覚えのないことで、誤解される。
信じていた人の態度が変わる。
居場所だったはずの空間で、少しずつ息がしづらくなる。
若かった私は、それをうまく言葉にできませんでした。
ただ、「どうして私が」という気持ちだけが、胸の中にずっと残っていました。
仕事もなくなり、収入も途絶えました。
これからどうしたらいいのかも、よくわからなかった。
人生って、時々、妙に静かなんですよね。
動いているときには気がつかなかった静寂に包まれるんです。
昨日まで笑いあっていた人が、スッと遠くに消えていきました。
あの頃の私は、まだ、「人生の軌道修正」なんて言葉では考えられませんでした。
そんな綺麗なものじゃなかったんです。
ただただ、何が起きているのかわからなかった。
それから数年後。
突然、当時の仕事の責任者から連絡がありました。
他愛もない用事での呼び出しでしたが、本題は別にあったのです。
久しぶりに会ったその責任者は、見たことのない神妙な表情をしていて。
そして、静かに謝り始めたんです。
「あの時は、本当に申し訳なかった」と。
聞けば、私を誹謗中傷していたある女性の話を、信じ込んでしまったそうです。
その女性は、私には、その責任者のことを悪く話していました。
かなり激しい言葉でののしるので、私は、むしろ責任者をかばう側でした。
実はあの当時、その仕事の責任者は、私を誹謗中傷していた女性と、特別な関係に進展していくさなかだったようです。
「彼女があんなに平気で嘘をつく人だとは思わず……信じた私が馬鹿だった」
うなだれてお詫びされる姿に、私のほうが驚いたものです。
こうして全部がつながった時、不思議な気持ちになりました。
人の感情や関係って、本当に複雑です。
誰かが少し言葉を動かすだけで、人と人の信頼は、簡単に揺らぐことがあるのです。
男女の感情が混じると更に複雑になるのでしょう。
でも、そんなことになっているとは知らなかった私は、ただ自分のいた場所を失ってしまった苦しみの中にいた当時のことを、お詫びの言葉を聞きながらぼんやり思い出していました。
「どうして私に?」失意の先に、まったく別の話が来た
CMプランナーの仕事を辞めたあと。
私は、しばらく沈んだ時間を過ごしていました。
何か大切なものが終わった感じだけがあって。
次に何をしたいのかも、正直よくわからなかったです。
それなのに、人生って、不思議なところから、急に話が来ることがあるんですよね。
ある日、地元テレビ局の関係者から、ニュースキャスターのお話をいただきました。
最初は、本当に驚きました。
「どうして私に?」そんな気持ちのほうが強かったと思います。
どうやら、CMプランナー時代の、私の企画や取材に対する姿勢に、期待をかけていただいたようです。
それはCM制作で培ってきた経験そのものでした。
もちろん、不安もありました。
CM制作でテレビ局には出入りしていましたが、今度は報道、しかも伝える側としてカメラの前に立つ。
それまでとは、まるで違う景色です。
でも、思い切って飛び込んでみることにしました。
今思えば、あの頃の私は、これ以上失うものもなく、またゼロからのスタートだと思っていたのでしょう。
地方局の報道フロアには、独特の空気がありました。
夕方が近づくにつれて、少しずつ慌ただしくなる感じ。
フロア全体が熱を帯び、いくつものモニターが並ぶ編集室では、目を凝らして作業が進みます。
電話の音。
慌ただしく行き交う人たち。
その中で、時間だけが、どんどん本番へ向かって流れていく。
不思議でした。
本来なら、まったく別の世界だったはずなのに。
どこか、懐かしい感覚もあったんです。
たぶん、CM制作時代に見ていた景色と、ちゃんと道が繋がっていたからだと思います。
取材の空気。
チームで成し遂げていく感覚。
限られた時間で「何を伝えるか」を削ぐ感覚。
無駄だったものなんて、ひとつもなかったんですね。
あの時、CMの仕事を失った瞬間だけ切り取れば、私は「人生が壊れた」とすら感じていました。
でも、少し時間が経つと、その先の景色が、またちゃんと広がっていたのです。
無駄だったものなんて、ひとつもなかった…と、あとから気づいた
ニュースキャスターの仕事は、想像していた以上に、私の世界を広げてくれました。
取材に出るたびに、知らなかった土地や人に出会う。
カメラが回っていない場所で交わされる、小さな会話。
地域の空気。
暮らしている人たちの表情。
華やかというより。むしろ、地に足のついた仕事でした。
やっぱり泥臭く、歩き回る、語り掛ける、聴き続ける。
だから私は、その空気が好きだったんだと思います。
そして不思議なことに、CMプランナー時代の終わりは、ただ辛いだけの記憶だったはずなのに、少しずつ、別の意味を持ち始めていました。
もし、あのまま何事もなく仕事を続けていたら。
たぶん私は、その場所に居続けていたはずです。
居心地の悪さを感じながらも、「仕事ってこういうもの」と、自分を納得させながら。
でも、一度、流れから外れたことで。私は別の景色を見ることになりました。
テレビ局側も、人間関係の狭い地方でのこと、出入り業者のスタッフに「ニュース、やってみない?」などと声をかけるはずがありません。
人生って、その時は「失った」としか思えないことが、あとになって、別の扉だったと気づくことがあるんですよね。
もちろん、だからといって、「失う」「壊れる」怖さは、慣れるものではありません。
理不尽だったことまで、「良い経験でした」と綺麗にまとめる気にもなれないです。
ただ、年齢を重ねた今なら、ひとつだけ思うことがあります。
人生の流れって、その時の自分には、わからないことが多かった。
渦の中にいる時は、前も後ろも見えない。
でも、少し遠くまで来て振り返ると、「ああ、あそこから流れが変わっていたのかもしれない」と思う瞬間がある。
あの頃の私は、必死でした。
まさか、その後、自分がニュースを読む側になるなんて、想像もしていませんでしたから。
渦の中にいるとき、人は前も後ろも見えない
若い頃の私は、「人生は自分で計画して進めるもの」だと思っていました。
頑張れば、ちゃんと積み上がっていくものだと。
でも実際には、自分の意思だけではどうにもならないことのほうが絶対的に多かったです。
理不尽な誤解。
突然の別れ。
思ってもみなかった方向転換。
しかも、その瞬間には意味なんてぜんぜんわからないんです。
むしろ、「なんでこんなことに」としか思えない。
ただ、長い時間が過ぎたあと、不思議とつながる瞬間があります。
あの出会いがあったから。
あの別れがあったから。
あの時、居場所を失ったから。
今の景色に、たどり着いていたのかもしれない、と。
もちろん、人生には、綺麗に意味づけできない出来事もあります。
痛みを伴う記憶は、簡単には消えません。
「あれで良かった」とは言えないことはある。
でも、それでも人は、その続きを生きていくんですよね。
ですから最近は、「人生の軌道修正」という言葉を、以前とは少し違う感覚で見ています。
無理やりはじき出されるような出来事も。
濁流にのみ込まれて息も絶え絶えに押し流されるときも。
あとから振り返ると、「あそこに留まり続けなくてよかった」と思うことが、人生には何度も何度もありました。
でもその時々の私は、そんな風には、まったく思えなかったです。
ただ、自分の人生が崩れていくようで、怖かった、痛かった。
でも、ホント、人生って、わからないものです。
結びに|意味なんて、すぐにはわからなくていい
人生には、ときどき、自分の意思とは関係なく流れが変わる瞬間があります。
昨日まで普通だった景色が、急に遠くなる。
信じていたものが、音もなく崩れる。
あの頃の私は、それを「不運」としか思えませんでした。
まさか、その先に、まったく別の仕事や出会いが待っているなんて、想像もしていなかったんです。
だから今、もし大切な人が、突然の変化の中にいるなら。
「無理に前向きにならなくてもいい、なんとかなるさ」って伝えると思います。
意味なんて、すぐにはわからない。
でも、人生の流れって、あとから静かにつながるもの。
あの時、終わったと思っていた場所が。
本当は、別の扉の入口だった。
そんなことが、人生には多いから。
もし今、運がないとあきらめそうになっているなら
「なぜ自分はうまくいかないのか」「自分には運がないのではないか」と考えてしまう事があります。これは、頑張ってる人だからこ…
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CMプランナー時代の命がけの武勇伝、お付き合いいただけたら嬉しいです。
地平線が、縦にも斜めにも走る光景を、ドア全開のプロペラ機から見るという体験は、私の人生で最初で最後のものでした。ドローンなど存在しなかった昭和の時代、ローカルテレビコマーシャルの空撮は、パイロ[…]
実は、今回お話したエピソードはかなりラッキーなものかもしれません。
青天の霹靂、地獄へ真っ逆さまという変化に、なぜか何度も飲み込まてきました。
いずれお付き合いいただけると嬉しいです。ではまた。
